ー moon life (ディレクターエッセイ)

海外旅行と時の大切さ

 

今年の長期休暇は5日間、土日を入れて合計9日間の休みを取った。

 

行き先は近場の海外。子どもが小学生ということもあって、プールや海など水の遊びがメイン。忙しい動きはしなかった。

 

ジェットスキーやバナナボートなどアクティビティはもちろん楽しかったのだが、実はもっと楽しかったのは「考えること」だ。

 

これから人生をどうしたいのか、どんな風に仕事をしていきたいのかをフラットな頭で考えることができた。

 

そして、そうしている時間が格別なのである。

 

会社に行って資料作成などに頭を使っていないので、本当に考えたいことを考えることができる。

(別に資料作成が悪いと言っているわけではない)

 

時間が短くても、それ以外の時間に余計に頭を使っていないので、頭がフル回転する。

これは今さらではあるが、発見であった。


(戻ってきてから色々なことの進みが鈍化しているのは、別のことに頭を使っていることが原因だと実感する)

 

もし、自分で仕事をするという選択肢を取ることになれば、これが日常になる。


もっと多くのことを自分はできるのではと思えた。

 

ただその場合、色んな意味で、もうそう簡単に海外旅行など行けないのだろうなぁ。。

 

経年変化

 

最近、劣化という言葉を目にすることが多い。昔に比べて・・、全盛期に比べて・・など。

 

おそらくは彼(彼女)が昔見ていた憧れとしてのその人があって、それと比べているのだろう。しかし、あまりな表現ではないかと思う。

 

年を経ると、若い頃なら許されていたことが許されなくなってくる。思い通りにいかないことも多いだろう。

 

そうやって経験値を積んでいくとともに、見た目の若さは自然と失せていく。当たり前の話だ。

 

一方、その中で心はきっと成長しているのではないだろうか。

 

前と変わらずにずっと仕事をして、作品を発表し続けている人ならなおさら確実だ。経年変化するのは身体だけではない。心もなのだ。

 

と言いながら自分のことを顧みると、懲りずに前からの夢を追いかけている。

 

これって、先ほどの話と矛盾するようだが、単に成長していないということだったりして。。

言葉にする勇気

 

最近よくGLIM SPANKYというバンドの歌を聴いている。

 

その中で「話をしよう」という歌の歌詞が心に沁みたので記したいと思う。

 

 

言っていることはこうだ(もちろん自分の解釈もあるので「こう思う」ということだ)。

 

 

いつもみんな、心の中で想って、相手に何か伝えたいことがあっても口に出さない。 

 

それは相手のことを考えて、迷惑をかけないようにしているか。

 

自分を守るため、傷ついたり、相手に悪く思われないように黙っているかだったりする。

 

 

だけれど、それが本当に良いことなのか、伝えなければ何も言わないことと同じではないのか。

 

言葉にした上で、相手のことも聞く。つまり話をするのが大事なのではないか。

 

それは決して一方通行ではない、コミュニケーションだ。

 

そうやって、想いは勇気を持って言葉にすることで初めて実体となるのではないか。

 

 

賛否両論はあるかもしれない。 

 

だけどほら、いまこう記さなければ、こんなことを考えているなんて伝わらなかったでしょう?

路線図と目的地

 

東京の路線は複雑だ。

 

沿線がいくつもあり、どの線とどの線がつながっているのか、目的地にどうすればたどり着くのかよく分からない。何を隠そう私もその口だ。

 

しかし、最近は乗り換え案内アプリが発達していて、乗る駅と降りる駅を入力すれば確実に経路が分かる仕組みになっている。素晴らしいことだ。

 

私もその恩恵に預かっていたのだが、今日はその優秀なソフトを使っても分からない自体に遭遇したので、ここに記したいと考えた。

 

私はA駅にいる。用事があるのはB駅とC駅で、その後はD駅に行かなければならない。この場合に、どのルートがいいのか分からないのだ。

 

直線上にあれば話は早いのだがそうではない。A→B→C→D、A→C→B→Dの2つの経路を比較する必要があるのだ。何度も検索する必要がありとても困ってしまった。ちょっとしたパニックとなり、最終判断が正しかったかはあまり自信がない。

 

この課題を解決できればさらに素晴らしいアプリになることだと思う。いかがでしょうか。お待ちしています。

 

なお、もう少し路線のつながりとか駅の位置とかを意識しようよ、などとは言わないでほしい。

 

それができないから検索しているのである。

 

癒しと育成

 

隙間時間に何かをしようとする必要はないのではないかという考え方がある。

 

とはいえ、何もしないでいるのは苦手なので、癒される動画を求めてアプリを探すと、育成ゲームというジャンルが見つかった。

 

クラゲ、マリモに始まり、ケサランパサランなんてものまである。どうやら癒しのジャンルではあまり表情のないものが好まれるようだ。

 

試しにクラゲをダウンロードしてみると、水の中にクラゲがぽっと浮かんでいる。

 

やることとしては少量の餌と水槽の水交換くらいで基本的にはただ眺めるということだ。

 

確かに癒される。ぼーっとすることができる。

 

物足りなさもあるのだがそれは自分のせっかちの方を改善すべきなのだろう。

 

これから自分はこのアプリをやり続けるだろうか?

 

分からないが、自分にも自分以外の人にも、ただぼーっとする時間が必要なことは言えるのではないかと思う。

 

今日のブログはこの辺でペンを置いて休もうかな。そして。

 

「ぼーっ」

 

風と音楽とPC

 

静かにPCに向かっているのが好きだ、というのは前にも言っただろうか。

 

今もそうだ。自分の好きな音楽をかけながらアプリを作り、ブログを書いているのだ。音楽をかけているのだから正確には静かとは言えないか。

 

マンションの外ではさわやかな風が吹いている。カーテンが揺れている。そして音楽が流れている。

 

その中で作品を作るのはとても気持ちがいいものだ。これこそが自分の時間、贅沢な時間と言えるのだと思う。

 

あともう一つ、静かではないものがある。それは自分の頭の中だ。

 

どんなものを作ったらいいのか頭の中がフル回転でとても騒がしい。あーでもない。こーでもない。

 

もっとも、ただ整理が付かなくてガタガタしてるだけなのかもしれないが。。

 

ガタン!

 

定額制と新しいこと

 

定額制サービスが広まっている。

映画や音楽。書籍についても存在するのではなかったか。無かったとしてもそのうち広まることは想像に固くない。

 

先日、音楽の定額制サービスに入った。目的は昔聞いた邦楽を聴くためだ。最近はCDがパソコンで再生できずに困る(そもそもうちのノートPCはCDが入らない)

 

ところが、入ってみると予想に反して有名なアーティストの音楽は見当たらない。

彼らにしてみれば、名前が売れているからCDで売った方が得ということか。まだ様子見なのかもしれない。

 

しかし、では残念だったかというと、別のところで喜びがあった。

 

私は洋楽に疎いが、しかし聴きたいと思っている。だが何を聴いたらよいかわからないで困っていた。買うには少々高すぎるし、そもそも検討がつかないのだ。

 

その点、聴き放題サービスは失敗がない。しかも、その分野で入門用の音楽などを選んでくれるのだ。これなら安心して試すことができる。

 

何が言いたいのかというと、いつも言っている気がするが、なんでもやってみるといいということだ。

 

新しいものには必ず発見がある。

 

今回学んだのは洋楽は楽しいということ。そして、よい商品はユーザの心に寄り添って”そっとおすすめ”してくれるということだ。

 

そしてもう1つ。自分の商品にはまだまだ改善の余地があるなぁ。

 

習慣とゴールデンウィーク

 

大型連休だ。長い人では9連休の人もいるだろう。気候も良いし休んで遊ぶという人は多いのではないか。

 

ところが、世の中にはそうしない人もいる。たとえば自分が教わっている先生がそうだ。

世間の流れに合わせて休むということはない。休みたいときに(おそらく短時間)休むのだそうだ。

 

自分もそう思う。やることはいつもと変わらない。

 

アプリを作り、人に意見を聞いて、また修正する。その繰り返しである。ゴールデンウィークはいつもと変わらない日常だ。特に嬉しいとも思わない。

 

さて、今日はテスト用のAndroid携帯を買いに近くのパソコンショップへ。もちろん仕事だ。

 

子どもには体験ゲームコーナーで遊んでいてもらって、自分は携帯コーナーへ。

 

Androidは今までしっかりと見たことがなかった。iPhoneと違い大きさも色も本当にまちまちだ。と、よく見ると携帯が10%引きになっている。説明を見ると、ゴールデンウィーク特別セールということだ。

 

・・なんだ、とても嬉しいではないか。ゴールデンウィーク!

 

遊びと仕事

 

今週は仕事でトラブルがあり、やりたかったことができなかった。いつも週の目標を立ててその達成に向けて一つ一つこなしていくのだが、ほとんどが終わっていない。

 

だが、よいではないか。自分は割と目的思考が強く、その達成に力を注いで”遊び”が少なくなってしまうことが多い。

 

けれどそれだと視野が狭くなりがちなのだ。疲れてもいるし、たまには目的達成を忘れ、遊びを取り入れるのも良いのではないか。

 

と、あまりやっていなかったゲームに手を出してみる。最近のゲームはよくできていて、週にこれだけのミッションをクリアしなさい、クリアしたらアイテムをあげますよと伝えてくる。

 

こうなると、ぜひ達成しなければいけない気になる。何しろアイテムがもらえるのだ。がんばらねば。

 

・・ふと気づく。これでは遊びではなく、ただの仕事ではないか!

新入社員と迎える人たち

 

4月に新入社員を迎えるという会社は多いのではないか。

 

活力、新しさ、緊張、期待。多くのものを持って彼らはやってくる。廊下ですれ違えば元気なあいさつを、話す言葉は若々しく、ぎこちない自己紹介は微笑みを生む。

 

外国では秋に新年度が始まったりするというが、日本は春だ。冬の終わりとともにやってくる新人は日本の会社の、春の風物詩と言えるのではないか。

 

先輩社員としては、春のさわやかさは無理でも、夏のギラギラ感くらいは持っていたいものだ。

防犯パトロールと桜

 

昨日、町内会で防犯パトロールを行った。月に2回、町内会の人間が町の見回りを行うものだ。

 

最初は億劫に感じていたが、行ってみると気が変わった。

 

まず、中々に歩くのが楽しい。それぞれが防犯灯を持ちながら、路地を歩いていく。時には路地に目を凝らし、時には通りすがる人とあいさつしながら。よく歩くのでいい運動にもなるし、知らなかった町の風景とも出会える。

 

また、大げさな言い方だが、こういう地道な活動で町の安全が保たれているのだと、実感する。そんな人たちの一員としていることも何だか誇らしく思えた。

 

最後に、親水公園を通りかかったとき、街灯にライトアップされた桜が見えた。とても綺麗である。こんなところで夜桜が見られるとは。

 

知らなかった町の風景だ。

 

寒い3月と風邪

 

先週、もうすぐ春だなぁと書いたが、雨が降ったりどうにも寒い。こんな日に出かけると風邪でも引きそうだ。

 

という中で、今日は無謀にも子どもと釣りに行った。どうしても行きたいらしい。さすがに屋内なのだが、移動はもちろん外である。寒さは君には関係ないのかい?と言いたくなる。

 

バスと徒歩で行って帰ったが、やはり寒い。厚着をしてやっとというところだ。ふと横を見ると子どもは寒がっていない。むしろアイスを食べている。

 

やっとの思いで家に着いたところ、子どもの様子がおかしい。熱い、と言う。体温計で測ってみると37.8℃。やはり熱がある。ほらみたことか、やはり無理があったのだ。今日は早く休むことにしよう。

 

そういうことで早々に風呂に入る。長湯はしない。出たら早々に寝る支度だ。

 

出たところで念のためもう一度熱を測る。目を疑う。36.1℃。治った、と言う。

 

寒さとか熱とかいろいろと君には関係ないのかい?

 

カフェに行く理由

 

休みの日は何をしているの?と言われればアプリを作っているのだが、他に何かないかと言えば、カフェに行っている。

 

 

私のカフェ好きはなかなかのものと自負している。何しろ多いときは日に3件もハシゴ(と言うのか?)をする。

 

なぜそう行くのかと言うと、1つは自分が飽き性で、家よりもよほど集中できるからである。場所を何度も変えるのもそのためだ。

 

2つ目は、他人が適度に存在している感じ。自分は寂しいのかなとも思ったが、違う。人がいることでハリが出るのだ。

 

やらなければいけないという気にさせてくれる。要は仕事がはかどるのである。

 

 

せっかくのカフェなのに休んでいないのではないか、と言われればその通りだ。

 

休みではない。私はカフェに仕事を楽しみに行っているのだ。(でも、たまには休憩します。)

 

組織の壁と春の風

 

組織の壁というものが何か、まだ社会人になっていない皆様は想像がつきにくいと思うが、要はグループができるとそのグループの外の人間に対して壁ができるということだ。

 

理屈はこうだ。現在の会社員は非常に細かい仕事をしていて、その仕事毎にグループが分かれる。

 

そして、細かい仕事をしていて忙しいものだから、他のグループから新しい仕事が来たときになかなか受け入れない。

残業が厳しい会社ならなおさらだ。そうして組織の間に壁ができることになる。

 

という風なことが起こることが多いのだが、中には快く協力の姿勢を取る人がいる。

 

どうしたんですか?困っているのですか。こちらの部署でできることがあればやりましょうか。

 

堅固な建物の窓を開けて、さっと入ってくる。そう、春の風のようだ。

 

とても心地よい風だ。その人がいると皆がよい気持ちになる。

 

あぁ、もうすぐ春だなぁ。

 

ものづくり

 

大人の方が子どもより良いものを作れる。

 

それが常識だと思われる方は多そうだが、必ずしもそうではないこと、むしろ子どもの方が良いものを作れるということが先日分かった。

 

マインクラフトというゲームがあるのをご存知だろうか。ゲームの中で木や石、レンガや水晶などあらゆる物を使って自分の世界を作るものだ。

 

そこでは、子どもの創造力に大人が到底及ばないことを思い知らされる。

 

たとえば家を作るのだが、迷路のように複雑な形状を猛スピードで一心不乱に作り上げていく。

 

階段や扉は何重にも、家は何層にも渡って作られており、かつ行き止まりにならないように全てがつながっている。その先にある部屋も奥深く、宝物入れやランプなどがこだわり深く美しく配置される。そのスピード、技術、デザイン、圧巻である。

 

最初の話に戻るが、子どもより大人が良いものを作れるというのはおそらく手先の器用さだったり、実用性という目線で物事を見てしまうからだと思う。ツールさえあれば、また用途を限定しなければ明らかに子どもの方が作るレベルが高いと思われる。

 

感心して「すごいね」と声をかけてPCの画面を覗き込んでみると、ドアに何やら看板が取り付けられている。

 

「ここは地下3階です」

 

私が迷わないように書いておいたのだそうだ。

 

・・すごいのは技術だけではないようだ(とっても方向音痴の父より)

 

マインドフルネス

 

本屋に行くと、心を整える方法を教える書籍がとても多いことに気づく。だいたいの本は一生懸命に書かれていて、おそらく、その通りに行えば効果が出るのだと思う。しかし、人間の怠け癖のせいで継続が難しい(なお人間は自分も含め多くが怠け者だとも思う)。

 

ただ、最近の流行りに乗じて読んだマインドフルネスの書籍は少し違うかもしれない、と思った。

 

本の中で紹介されていた心を整える方法は、いまここに集中するということであった。何も考えずに、いま疲れてるなとか、風が吹いているなとか、現実をありのままに感じろと書いてある。そうすることで未来への心配から解き放たれ、リラックスできるのだと。

 

この方法はとても手軽だ。なにしろ何も準備がいらない。そのままを感じればよいのだ。やろうと思えばその場で実行できる。言ってしまえば、このブログを読んだ今からできる。

 

そして、やってみるとなかなか気持ち良い。いつも私は何か考えていて頭が空っぽになることがない(要は注意散漫)のだが、これは頭を使わないようにするものなので、少しの間でも心が休まる気がする。オススメだ。

 

ということで、最近私は会社への行き道でこの方法を実践している。足が地面に付いた感触を認識する。会社への坂道を歩いていることを認識する。あんな看板があるんだなと発見、となかなか楽しい。一つ考え方を変えることで改善するものもあるのだな、と思う。

 

ただ、注意散漫な私はたまに思ってしまう。これから会社に行くのか・・

 

プレミアムフライデー

 

プレミアムフライデーというものが存在するのはご存知だろうか。最終金曜日は午後の早いうちに退社しようと政府が提唱している企画?である。消費喚起と生産性向上の狙いがあるように見受けられる。

 

とはいえ強制ではない。したがって会社によって取り組む、取り組まないと対応が分かれる。ニュースで見る限りでは、導入する会社が20%、検討中が30%くらいだったように思う。それ以外の会社は今のところ検討していないということだ。

 

 

我が家は会社が推奨していることもあり定時帰りで食事に行くことにした。

 

定時帰りが必要なので仕事を急ぐ。15時以降は打合せが入れられない(というルールだ)のでわざわざテーブルではなく、自席で打合せを行う。終わってからもまたデスクワークだ。

 

時間が流れていく。そんなこんなで何とか終える目処が立ってきた。少し待ち合わせに遅れそうだ、着いたら謝ろう。久しぶりに肉が食べられるぞ!

 

 

さぁ帰ろう!と席を立ったところ、帰り支度をしているのは自分だけで、皆は鬼のような形相で仕事をしている。

 

ん?どうも空気がおかしい。誰も帰ろうとしていないぞ。これはどういうことだろうか。

 

まさか逆に、プレミアムフライデーで帰る方が仕事をしていないぞという流れだったのか?会社が推奨しているのではなかったのか。

 

 

お、お先に失礼します・・

 

食通

 

世の中には食通と言われる、食べ物にこだわりの強い人がいる。

 

外食においては美味しい店をいくつも知っている。家で食事をする場合も決して既成の弁当を買ったりはせず、良い食材を仕入れて自分で料理をする。

 

職場の飲み会などでも良い店をチョイスし、周りの人からも重宝がられる。良いことだと思う。

 

そんな人が先日、家族でやむなくチェーンの飲食店に入ったときの話をしてくれたが、とても食べられたものではないという感想であった。本心なのだろう。

 

 

比べて私だが、食べ物へのこだわりがとても少ない。

 

子どもが小さいことも相まってチェーン店に行くことは日常茶飯事なのだが、感想は、いやいやおいしいよ、というものだ。正直なところ、いま日本で外食していて、おいしくないものなどないのではないかさえと思える。

(ちなみに海外ではおいしく感じないことが多い。やはり日本の食事は良いのだと思う)

 

 

これは、どちらかがおかしいのか?そしてどちらか(主に私)が不幸なのだろうか?

 

私の結論はどちらもOKである。要は食に対しての欲求の差ではないか。先述の彼は食に興味があり、範囲は狭いがとてもおいしく食べられる。私はそれほど興味がないけれども、許容範囲が広くやはりおいしく食べられるということだ。

 

 

ただの味音痴でしょ、とかそういうことでは決してない(本当だ!)

 

飲み会

 

先日、久しぶりに仲間の飲み会に参加した。ただし、全員ノンアルコールだったのでいわゆる飲み会とは正確には違う。

 

会社にいると、夜に居酒屋に集まる場合、お酒を飲むのが普通であるということを教えられる。

ただ、それは世間一般からすると、必ずしも絶対ではないようだ。お酒を飲む人が少ないからか、この飲み会は基本ノンアルコールである。

 

それと、ゲーム関係の技術者の集まりであることが影響しているのか、騒いだりは決してせず、各自が自分の近況を緩やかに語るとというところも一般の飲み会とは違うように思える。

引っ越した、転職した、ゲームを自作しているなどそれぞれが状況を淡々と語り、皆がそれに反応していく静かなものだ。

 

一般に盛り上がったかどうかで飲み会を評価するようなことをよく聞くけれど、それが全てかのように話をするのはあまり良いことではないように思う。

 

そんなことよりも、自分のことを少しずつ全員が語り、皆が耳を傾け、語った本人も満足する。そのくらいの方が良い飲み会と言えるのではないか。騒いだわけではないけれど、個人的にはすごく盛り上がった会であった。

 

なお全くの余談であるが、北海道に引っ越した人が、健康志向の奥様に野菜料理ばかりを出されるという理由で、東京に来てジンギスカン鍋を食べていたのがとても面白かった。

 

見え方

 

名前はわからないが、顔は何度も合わせている人がいる。

 

近くのコンビニエンスストアの店長がそうだ。大体自分が行く時刻には出勤しており、何度も買い物をしているため自然と顔を覚える。

 

そうすると、少し興味が湧きどんな人なのか想像する。まじめな人なのではないか。接客商売で人を幸せにしたいと思って店主をやろうと決めたのではないかなど。なお見かけはごく普通のおじさんである。

 

 

果たして今日もそのストアに行ったのだがー。

 

ドリンクを買うコーナーで目を見張った。

 

なんとその店長がニット帽にカジュアルなダウンを着て歩いているではないか。

 

普段はコンビニの制服を着たまじめな印象なのだが、このギャップはどういうことか。いつまでも若い心を忘れないよとでも言うように、服装は若者らしく、足取りも軽い。けれどあの横顔は店長に違いない。

 

 

果たしてどういうことなのか。。

 

そこまで考えてふと、いつもいかに自分が勝手な視線で人を見ているかに気づいて恥ずかしくなった。

 

おかしな考え方をしているのは自分の方だ。

 

店長も当然、プライベートは違う顔を持っているのだ。まじめそうな印象は仕事の時のもの。人をある一面でしか見ないのは悪い癖だ。

 

そんなうがった見方で人を見ているなんて、情けない。これかはもっと偏りのない目で人を見ていかなければー。

 

 

そして、そう考えながら、ジュースと食べ物を買いにレジに行ったとき、私は再び目を見張った。

 

店長がいつも通りレジにいるではないか!

 

性格

 

子どもの性格は親に似ると言われている。

賛否両論あるかもしれないけれど、自分はそうだなぁと思うことが多い。

 

うちの子どもは群れないタイプである。なかなか周囲に馴染もうとせず、自分一人でいるのが好きだ。自分に似ているなぁと思う。

 

男の子だが、他の子どもたちのようにワーワー騒いだりはしない。では楽しくないのかというと、勉強などは楽しいようだ。

また、まじめである。ゲームでも勝とうとする。(それがゲームという世界では正しい行動とまじめに考えているからだろうか?)

 

この間、学校見学で体育の授業を見たところそれがよくわかるシーンがあった。

ドッジボールで他の子がボールを取ろうとコートの中央でワイワイやっているところ、うちの子は常にボールから一番遠い位置になるように動き、当たらないように対策していたのだ。

ボールをキャッチするのが苦手な以上、それが得策であることはわかるのだが、行動に移す人はなかなかいない。人目を気にせずそういうことができるのも一つの特色なのだろう。

 

話を戻すが、うちの子どもは親に似ていると感じる。

 

しかし、それは決して嬉しいと感じることばかりではない。自分がこの性格のためにしてきた苦労を子どもが同じようにするのが目に見えるからだ。特に、日本では人と違うことが認められにくい。「変わっている」「空気が読めない」などと言われ、辛い思いをすることもやはりあるのだと思う。

 

なので、さすがに親である私は学校で辛い思いをしていないか、それとなく様子を探ることもしばしばだ。

 

だが、その時、子どもは決まってこう答えるのだった。

「大丈夫!大丈夫!」

 

何があってもへこたれないところは似ていて良かったな。

これからも、ずっとサポートを続けていきたいと思う。

 

学校見学

 

土曜日は小2の子どもの学校見学だった。

学校見学とは学校の授業の様子が親にも開放されることで、2ヶ月に1度のサイクルで行われている。

 

 

学校に行った私は”生活”の授業を見学した。

そこで行われたのは「自分の名前に込められた意味」を他人の親に発表するというもの。

学校見学に合わせて特別な授業を用意してくれたようだ。

 

 

他の子どもの名前の由来を聞くのは楽しいものであった。「優しい気持ちを持ってほしい」「幸せになってほしい」「人との結びつきを強く持てるようになってほしい」一つ一つの名前にそれぞれの親の願いが込められている。

 

最もよかったのは、それを嬉しそうにしゃべっている子ども達の顔だ。「こんな意味があったとは知らなかった」と口々に言う子どもの顔は嬉しさに満ちていた。自分に説明すると次の大人の前へ、急いで次々に説明を続けていた。

 

 

そういえば、自分の子どもも同じように嬉しくしゃべっていたのだろうか。

私も類に漏れず、頭を悩ませて名を付けている。少しでも感じてくれていると嬉しいのだけれど。

 

 

時間が過ぎて、授業も終わり。最後に「多くの人にお話聞いてもらってシール貼れましたか?」という先生の声。「はーい」と挙手する子ども達。

 

・・ひょっとして、嬉しそうにしていたのはシール集めに夢中だったから?

 

寒波

 

正月も終わり、日常の生活が始まっている。

先週はそれでも4日しか営業日がなかったが、明日からは週5日で仕事だ。

 

 

しかし寒い。寒波が押し寄せているということだ。聞くところによると今日の最低気温は−2℃だそうだ。

 

 

少し前にファッションブランドのCMで、冬は人を動かなくさせる、だから暖かい服を作って人を活動的にさせるのだというものがあった。(表現は正確ではないと思うがニュアンスは)よいCMだなと思ったのを覚えている。

 

事実、寒くてベッドから起きるのが億劫になる。というか、ベッドの中にいたいと思う。

ややもすると、見たくもないのにスマホを見たりなどして時間を費やしてしまう。

 

 

それでも少しすると、自分を奮い立たせて起きる。そうできるのは「やりたいこと」があり、それは自分の手でしか先に進まないことが分かっているから。

大げさに言えば、その思いが自分を突き動かし、目覚めさせるのだ。

 

 

ところで、自分の出身は埼玉である。いま住んでいる東京よりも常に何度も気温は低かった。

 

それでも、特に起きるのが億劫になることはなかった。つまり、私も昔は同じような気温でもがんばって目覚めていたことになる。

 

 

とすれば、いま起き上がるのが難しいのは寒さのせいなどではない。

単純に自分の怠け癖ではないだろうか!

 

勝ち負け

 

今日はベイブレード(現代のベーゴマのようなもの)の大会で子どもが勝利した。

過去4回大会に出ていずれも敗れていたのだから、喜ばしい。

 

 

ベイ(コマ)を回す瞬間に勝ってほしいと願う。1度目は仕切り直し。ドキドキしながら望んだ2度目で自分の子どものベイが最後まで残ることができた。やった、初勝利である。

 

 

勝利した瞬間だが、自分のことではないながら「楽しい」と思った。

また、それは久しく味わっていない感覚であった。

 

 

なぜだろう?少し考えてみた。

 

 

小さい頃はスポーツをして、勝ったの負けただのがあったが、大人になるとそういうことは少ない。

 

仕事の場合、ほとんどは勝敗で表せないことが多く、せいぜい付くのは順位や点数だ。

(コンペで勝った負けたはあるかもしれないが、自分は営業ではないのでわからない)

 

趣味でスポーツをやっているにせよ、大人だと本気になることが少し気恥ずかしいようなこともあり、真剣勝負はなかなか無い。だから、勝つことによる喜びは久々であり、心が動いたわけだ。

 

 

「勝敗が付く分かりやすいもの」に挑戦し、そこで勝つことは大きな喜びになる。

大人が人生を楽しむのに、この「勝利の喜び」は使えないだろうかと思った。

 

 

などと考えながらふと子どもを見ると、終わった後は喜びに浸りなどせずに、次の遊びにすぐ向かっている。

 

もうちょっと喜ばないの?と思ったが、次の遊びの方が楽しいみたいだ。

 

 

長く感動しているのは父親だけであった。

子どもには心踊る「楽しいこと」が勝負などよりたくさんあるらしい。

 

正月

 

今年の正月は一人で迎えることになった。

年末からひいていた風邪で、家族や親戚と過ごせないためだ。

 

 

正月に一人と言うと、ネガティブに感じる方もいると思うが、自分はそうは感じない。

 

だが、今回は過ごしてみると憂鬱な気分であった。

 

体調が悪いため何かをして過ごすことができない。そうして目を閉じると、何もかもがうまく行かない、誰も助けてくれないなどと嫌な思いばかりがよぎるのであった。

 

滅多に感じない寂しさが募っていく。もうすぐ年始だというのにこの気分はどうか。

 

 

そんな時であった。実家の両親から連絡があった。

 

一人でいるのであれば、おせちを持ってきてくれるとのことであった。普段あまり顔を合わせることがないが、風邪と聞いて息子のことが気になったらしい。

 

そういえば、親はいつまでも子供が気になるものだと以前に言っていた。昔からこれという用事もないのに電話がある。

 

 

翌朝、果たしておせちを持った両親がやってきた。車で1時間半の道のり。混雑がなかったのが幸いだ。

 

 

長居はしなかったが世間話をし「心配である」という言葉を残して去っていった。面と向かって言われると少し気恥ずかしい。

 

 

そして今、体調は回復傾向にあり、仕事を再開した。

 

気を取り直して、今年もよい一年を過ごしたいものだ。

 

 

最後に。両親よいつもありがとう。

おせちも、ごちそうさまでした。

 

サンタクロース

クリスマスにはサンタクロースがやってきてプレゼントをくれる。

 

それを信じている子供が、小学校中学年くらいまでは多いらしい。

 

理由は、親がサンタクロースはいるよ、と子どもに教えているからだ。自分でプレゼントを買っているそぶりは決して見せない。

 

 

なぜサンタがいると教えなければいけないのかと聞けば、「夢があるから」と答えは返ってきそうだ。

 

だが、あまり因果関係は強くないように思われる。自分が小さいころ楽しみにしていた、その気持ちを味わってほしいという思いが一番大きな理由なのではないか。

 

 

そんなことを言っているとサンタ不信心者のように思われるかもしれないが、私は信じていた口だ。

 

ただある日、メガネをかけたサンタが(煙突ではなく)玄関から、さらにインターホンを押して入ってきたことがあった!そのとき、これは怪しいな・・と考えたのを今も鮮明に覚えている。(言うまでもないがそういうサービスを親が一度だけ使ってくれたようだ)

 

 

さて、いま我が家と言えば、小2の息子は既にサンタを信じていない。

 

例外はどこにでもあるようで、妻の家庭ではサンタがクリスマスにプレゼントをあげる習慣がなかったからだ。それが代が替わっても受け継がれている。

 

 

しかし、ではクリスマスが楽しみではないかというと、そうでもない。

 

誕生日以外に公式にプレゼントを買ってもらえる日として、子どもも、そして親も楽しみにしている。

 

子ども向けのアニメ

子どもが小学生に上がってからアニメを見ることが多くなった。

 

アニメは分かりやすく(その分、危険でもあるけれど)楽しいメディアだ。

多くの作品が出ていて、DVDで借りられるのも手軽でよい。

 

 

少年向けのアニメには色々なジャンルがある。 スポーツ(ゲームなどもこれに含まれる)、ギャグ、そしてバトル。

 

 

スポーツやバトルでは最初は弱い主人公が、なんとか敵を倒し、仲間を見つけ、時には挫折して、それでもその困難を乗り越えていくというパターンが散見される。というか、ほとんどこのパターンだと思われる。

 

 

そして、弱い主人公が困難を乗り越える過程を見て、子どもは努力とは、友情とは、そして勇気とは何なのかを知っていく。希望を持ってがんばれば道は拓けていく。

自分がそう育ったからというのもあるのだろうが、子どもの情操教育に適していると思う。

 

 

その中で良くないと思うのは、ためになりそうなアニメを子どもに薦めようとしてしまう自分だ。

 

押し付けは良くないと分かってはいるのだが、子どもには健全に育ってほしくて、ついつい人生勉強にもなりそうなものを探してしまう。

 

 

ところが押し付けるまでもなく、子どもは自分にちょうど良いものをレンタルDVD屋の棚から正確に取ってくるから不思議だ。

 

楽しく、ためにもなりそうなものを抜群の嗅覚で見つけてくる。向上したいという気持ちが子どもには備わっていて、そうさせるものなのか?分からない。

 

 

そして、いま自宅のテレビで子どもと2人でその借りてきたDVDを見ている。

 

競技自転車で繰り広げられるレース。熱い友情。王道の少年向けスポーツアニメだ。

思わずがんばれと応援したくなる。「負けるな!」「あきらめなければ道は拓ける!」

 

 

繰り返すが、少年向けのアニメは子どもに希望を与えるものだ。

 

そして実は、それを観た親もまた、一緒に希望をもらっている。

 

有給休暇

会社に入ると週に2日は休みなのだが、それ以外に年に何日か休みがもらえる。これを有給休暇と言う。

今回、久しぶりに休みを取った。

(もちろん違う会社もあるだろうし、建前だけで実質は取れない会社もあるようだ。)

 

 

この休みを取るのが上手い人がいる。

自然に、誰にも明確をかけることなく休みを取るということだ。

 

 

たとえば、1〜2週間残業続きで「繁忙期なんです」と言いながら、今日はいないなぁと思っていると、休みを取っている。

 

周りへの配慮や調整が上手なのだろう。

時には、なんでもない営業日に、1日だけでなく2日も休みを入れて、家族で小旅行に行っていたりする。素敵だ。

 

 

ちなみに、これがあまり得意でない人になると、重要な会議に欠席してしまったりする。また、周りへの連絡が足りず「あれ、あの人いないの?」と当日になって皆が慌てることになる。実際にそういう人はいて、少し困る。

 

 

私はそのどちらでもないのだが、休むのは苦手だ。

というのは、取ること自体を怠ってしまうのだ。絶対的に休みが少ない。

 

休むとペースが乱れるとか色々言い訳をしてしまうのだが、要は調整を面倒がったり、思い切りも足りないのだろう。

 

 

今回は、そんな自分を戒める気持ちもあり、それなりに忙しい状況ではあったが休みを取ったのだった。

 

 

そして今、3連休を満喫している。

ブログは快調だし、明日の月曜日はようやく完成したアプリのリリース準備で大忙しだ。

 

 

それって休んでいないのでは?と思う人もいるかもしれない。

 

いいえ、好きでやっているので立派な休みである。

 

健康診断

自分の所属する会社では年に一度 健康診断を受けることになっており、先日久しぶりに検診に行った。

 

 

私は初めてそのクリニックに行ったのだが、大きな施設で待合所だけでも20人もの人がいた。

 

 

受付を済ませた後、指定の服装(健康ランドのようなリラックスした服装)に着替え、検診を受ける。

 

多くの人が同じ服装で順序よく検診を受けている姿を見ると、それぞれが人間というカテゴリの大切な品物のよう。

 

その品物も何もしないでいると故障が発生してしまう。だから定期的にケアが必要なのだな、などということを漠然と考えた。

 

 

また、検診を受けていて面白かったのは、各検診の待合場所ごとに別ジャンルの雑誌が置かれていたこと。

受付のAERA、Newtonから始まり、心電図にはファッション雑誌、バリウム検査には海洋生物図鑑など。

 

ふと、この雑誌の配置は意図的なのではないかと思った。

血液採取コーナーでエンタテインメント系の雑誌が多いのはリラックスさせるためではないだろうか。徐々に雑誌の内容が変わっていくのは、会社員モードから徐々に気持ちをシフトさせ、心地よく検診を受けてもらうための気遣いではないだろうか?

 

 

そのようなことを考えて1時間半ほどの検診を終え、クリニックを出たところにラウンジを見つけた。

 

聞くと、検診を受けた人は無料で利用できるそうで、コーヒーを飲みながら雑誌を読んで一息をつくことができる。

 

中では終えた人が思い思いにくつろいでいる。クッキーなど軽食を食べている人もいた。

 

 

会社に早く戻らねば・・という思いもあったが、まだ時間は少しある。

 

ここは「日経オトナのOFF」で一息つくことにする。

 

人間にはメンテナンスが必要なのだ。

 

新幹線の過ごし方

 

先日、珍しく会社で出張に行った。

 

出張先は名古屋。東京からは新幹線に乗ると1時間40分くらいの距離だ。

 

 

行きは仕事の予習でバタバタと過ごし、帰りである。

 

 

座席は自由席だったので、列に並んで席に座る。

 

今は珍しいドレッドヘアーの青年の後ろに。席が最初から後ろに倒されており、窮屈さを感じる。

 

ちらっと見ると、グダッと足を広げている。まぁ、座れたのだからぜいたくは言わない。

 

 

と、座ったところで、長い時間をどのように過ごすのか、何も考えていなかったことに気づいた。

 

 

さて、どうしようか。

 

 

ここは、次回に向けての勉強と思い、皆がどういう時間の過ごし方をしているかを見て過ごすことにした。

 

 

 

まず多かったのは何もせずに休む人。

 

これは分かりやすい。金曜日の夜だ。疲れていない方がどうかしている。

 

 

次にビールを飲む人。

 

回ってくる販売員に注文して飲む。私は飲めないが、おいしいのだろうな。これは良い過ごし方だと思った。

 

一方で弁当などを食べる人はほとんどいなかった。 

私のように帰りの時間が読めなかった人が、弁当を買う暇もなく乗り込んだからか。家で帰ってからなど別で食べる人もいるのだろう。

 

 

次に読書をする人。これは散見された。

 

現代人は忙しく、いつもはなかなか時間が取れないだろう。良い過ごし方だと思った。

うん、うんと頷きながら読んでいる人がいて、幸せな時間を過ごしているのだなと感じられた。

 

 

意外だったのが、スマホを操作している人があまりいないこと。

 

電車の中ではとても多くの人が行なっているのに、どういうことだろうか。

 

 

ふと見ると、携帯の代わりにiPadなどの端末で映像を見ている人が多かった。

洋画だったり、テレビの録画(だと思う)だったり、大きな画面で各自が好きな映像を見ている。

 

 

私はすごいな、と素直に思った。

 

みな忙しい中、工夫して生きているのだ。

 

 

このような長い時間で、その時に何をするのが楽しいのか、それぞれが考えて準備をしている。

 

 

何も準備ができていなかった自分がもどかしい。

 

 

この中で、何も考えていなかったのは、私と、あのグダッとしているドレッドの青年くらいではないかー。

 

 

と思って、ちらりと見ると、その方の前には最新版のiPadが。ヘッドフォンを接続し、映画を満喫している。

 

 

席を後ろに倒していたのは、決してリラックスするためだけではない。

 

 

画面とちょうど良い距離を取り、快適な時間を過ごすためだったのか!

 

バッターボックス

先日、7才の子どもとバッティングセンターに行った。

 

ベイブレード(進化したコマのようなもの)の大会に行った後にふらりと入ったものだ。

 

子どもははじめは興味がなく、私に促されて「しょうがないなぁ」といった感じで中に入っていった。

 

しかし、父親(私)のバッティングを見ると、急に興味が出てきたようで自らバッターボックスに向かっていった。

 

 

球技が得意ではないうちの子どもではかすりもしないだろう。

 

そう分かっていながら私は「何事もやってみるのが大事なんだよ」そんなメッセージを伝えたくて、このバッティングセンターに来たのであった。

 

 

だから、彼がバッターボックスに向かったのは嬉しかった。

 

がんばれ、子どもよ。

 

 

ところが、しばらくすると「カキン」という音。

 

あれ?ひょっとして当たったの?

 

あくまでボールが当たったというレベルではあるが、彼は3球ほど、しかし確実に当てていた。

 

 

「やってみて初めてわかることがある」

 

そういうことだったのか!